フランチェスコ像

ようやく インドのマザーテレサからアッシジのサンフランチェスコへと たどりついたのだっ!

葉インドへの旅から6年目の2001年の初夏、小さな祈りの町をめざして糸杉の並木の中を走るバスの中にいた。行く先はサンフランチェスコのふるさと、スバシオ山の中腹にある『アッシジの町』だ。バスの揺れに身をまかせ、かつて訪れたカルカッタのマザーハウスでの出来事を思い出していた。入院中のマザーが、体調のいい時には病院からお祈り の時間のみ現れることがあるという話をきき 数日間 朝夕の祈りに参加した。ただただマザーに会うことと、シュシュ・ババン(ヒンドゥー語で こどもの家の意味)のこどもたちを訪ねることが目的でカルカッタに来ていた。

マザーハウスには、各国から訪れている者たちのために 朝夕の礼拝時に一枚の英語の紙が用意されている。そこに記されている祈りの言葉を ミサの最後に皆で一緒に唱えるのだ。その『平和の祈り』こそが、聖フランチェスコの言葉だった。それまでにも映画「ブラザーサン・シスタームーン」は見ていたし、ドノヴァンが歌う主題曲(聖フランチェスコの、『太陽の讃歌』を基にして作られたという認識もなく・・)は好きでよく口ずさんでいた。この『平和の祈り』の言葉は、マザーハウスの二階の礼拝室の入り口にも掲げられている。

 

マザーハウスでの朝夕二回の礼拝に参加し『平和の祈り』を共に唱えることを数日繰り返したある朝のこと。シスターたちの中に、ひときわ小柄な女性が目についた。少し症状が落ち着いたらしいマザーテレサだった。実はといえば、マザーハウスで過ごし 時折シスターたちと話をした数日間のうちに、どうしても、なにがなんでもマザーに会いたい という気持ちからマザーに会えても会えなくても、ここにいるシスターたちの中にマザーは存在しているんだから一緒とちゃうかな という思いの変化に気づきはじめていた頃だった。執着を手放したから会えたのかな。

帰国直前に間近で顔を見られただけで感謝!なのになのに、祈りのあとフランチェスコの言葉の掲げられた礼拝室の入り口にあるベンチに腰掛けていた三人のみ、再び現れた車いすのマザーと言葉を交わすことを許されたのだよ!(♪)。頭に手を置き祝福を与えたあと、両手で頬を包んでくださった。あの小さな手のぬ くもりと笑顔、力強い声に 触れてから ちょうど2年後にマザーは亡くなられた。

 

いつかアッシジに行って、マザーの生き方の指針となった 聖フランチェスコが生まれ育った町の空気に触れてみたい・・
この思いを実行するのに 6年という月日は長すぎたのか、は、所詮一匹のネコには たいした意味はないのだにゃん。


バスの窓から見えるスバシオ山
バスターミナル
バス停のある ウニタ・ディタリア広場
(P.za Unita d'lalia)

ローマのテルミニ駅からフィレンツェ行きの列車に乗って約二時間で(途中でフォーリニョ・Fologno駅で乗り換え)アッシジのちいさな駅に着く。丘の上にあるサンフランチェスコ聖堂へは、駅前からバスに乗り約20分の距離だ。初夏のさわやかな風のなかをバスは進んでいく。

ここウンブリア地方のウンブリアという言葉の語源は、ラテン語の『ウンブラ=みどりの陰の濃いところの意味からきているそうな。そういえばヴェネツィアの方言でワインのことを『オンブラ=日陰』っていうんじゃなかったっけ?なんかつながるのだ。


アベニン山脈を東の境として山が多く、小さな町が尾根や丘の上に多く発達した理由は、人々が疫病を避けて山の上に住んだ名残らしい。(と、何かの本に書いてあったような・・・)。にゃんてことを思いつつ、緑濃き田園地帯という風景の中をバスにゆられていく。思い出すと、なんかもっと乗っていたかったような気もするなぁ。

 


ホテル前の道のつきあたりが サンフランチェスコ聖堂 


質素ながら清潔で落ち着く部屋

 

ホテル・スバシオ(SUBASIO)


町の西側にあるウニタ・ディタリア広場のバス停で降り、なだらかな坂を少し上ったところにある聖フランチェスコ門をくぐると、中世さながらの古い町並みにでた。
門から数分、狭い石畳に面して その入り口を見せた ホテル・スバシオは、向かいの建物の工事用のやぐらを前に、心なしか控えめな顔で迎えてくれているようだ。

当時ペルージャに住んでいたJIUNCO(チャオイタリアではお馴染みの在伊10年以上の友人)の案内で、早速サンフランチェスコ聖堂へと向かう。


サンフランチェスコ聖堂

聖フランチェスコの死の二年後、
1228年に建設が始められたこの聖堂は、
斜面 に建つため、下部聖堂(ロマネスクゴシック)、
上部聖堂(ゴシック)との二階建てになっている。

 


小鳥に説教する聖フランチェスコ(ジョット作)と
亡くなる時に着ていた服
 
身に着けていた一切を脱ぎ捨て
「何も持たざる者」として
清貧に生き続けた彼の生き方とあまりにもかけ離れた
巨大なこの聖堂の地下で、
さぞ居心地悪い思いをしているだろう聖フランチェスコの顔が
ふと浮かぶ。


☆聖堂の左脇に下部聖堂への入り口があり、天井の低い堂内は少し湿っぽい空気に包まれていた。チマブエやシモーネ・マルティーニらのフレスコ画を左右の壁に見つけ、しばらく時をすごしたあと地下礼拝堂へ降りる。ここに聖フランチェスコの遺骸が安置されているそうな。

上部聖堂は、天井の高い、窓からの光に満ち満ちた広い空間・・といいたいところだが、そこから崩れ落ちたという中央の天井の一部や、あちこちに1997年の大地震の名残が未だくっきりと残っていて、その修復作業のために心なしか暗く狭く感じられる。


有名な「聖フランチェスコの生涯(ジョット画)」の28のフレスコ画の前にもあちこちに足場が組まれていた。「小鳥に説教する聖フランチェスコ」を、なんとか隙間からのぞく。
いづれまた来るやろうし、今回はこんなとこにしとこ  聖堂を後に町の中心へ。


町の中心コムーネ広場へ向かう道


メインストリートを外れると・・
きれいな花があちこちの
家々に

 


レトロなのか近未来的なのか・・?

 


いろいろな催しのポスター

 

像

 

 

 


サンタ・キアーラ教会前の広場からの
ウンブリア平野の眺めはすばらし〜い


★聖フランチェスコの両親の銅像が建っているという、クーポラのヌオーヴァ教会を訪ねた。聖フランチェスコの父親の所有物であった建物を基礎に建てられたということだ。

映画の見過ぎか? 観察眼のするどい(あは!)このネコには、すばらしい息子を持った親の誇らしさの中に、ちょっとがっかり の本音が かいま見られた二人の表情でありましたっ。

 

淡いピンク色の建物の前じゃぁ。タダのノラも絵になるのだ。うん

★アッシジの町の建物はどれも、町の北にあるマッジョーレ城塞の裏から切り出される淡いピンク色の石材からできている(とパンフに書いてあった)。
そのせいか、町全体がやさしく清楚な雰囲気で、いかにも聖フランチェスコとサンタ・キアーラの故郷にふさわしく思える(シミジミ)。

教会

葉ホテル・スバシオに併設してあるレストランの営業時間に間に合わなかったので、フロントで紹介してもらったレストランに行ったところ これが大正解の店だったのさ。ウンブリア名物のあれやこれ(わからん)が出て、いかにもおいしそうだった。おいしそうだった・・というのは、昼間セルフの店で食べ過ぎた Anliecat の胃袋の中では、夜になっても食べ物の消化がおっつかず『頭は歓迎、胃袋は拒否』状態のなさけなさ。ちびネコは、ちびの胃袋しか持っていない。一度に食べすぎたらあかん!って常日頃から自粛してたのにな。

ちぐしょー。ぜったいにもう一度行ってやるぅ。そしてしこたま食ってやるのだ。(そして数年後、サン・フランチェスコの足跡をたどっての再び、みたびの旅へとつづく/制作中)

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